web master’s voice in Japanese (20) 2018/8/1
経済評論家の日下公人さんは、日本はビッグシステムに対する信頼が高い国だと仰います。ビッグシステムとは中央官庁、裁判所、検察、警察、病院、教育機関などなどです。
欧州では、支配者側の権力と抗争する形で、被支配者側の大衆の権利が強化されてきた近代化の歴史がありますが、日本では治める側と治められる側との間に信頼関係がありました。かつて、国体と云われていた概念に通じるかと思いますが、皇室を頂点とする権力機構に対する一般市民の信頼があり、それがこの国の強みでもあり、社会全体の大きな財産でもありました。
皇室を頂点とする公権力を“お上”と呼んでいましたが、料亭の女主人なども“お上”と呼ばれ、“我が家の上さん“などという表現もよく使われます。
公権力に対する恐れよりも、親しみや信頼が勝っていたことを連想させます。
しかし、近年、中央官庁を筆頭とするビッグシステムに対する信頼が損なわれる事例が頻発しています。
明治維新の業績として高く評価されるのが、身分制度の廃止と人材の登用です。武士に限定されていた軍隊を国民皆兵の徴兵制度に改め、幹部候補生用に士官学校を創設して広く人材を集めてエリート教育を施しました。
また、小中学校を充実させて庶民一般の学力向上を目指すと共に、旧制高校を設けて中央官庁への登竜門とし、生徒にはエリートとしての誇りと自覚を植え付け、私欲を離れて公益・国益に尽くすべきことを教育しました。
戦前の国力の充実には、優秀な人材の登用と活用が大いに貢献したものと思われます。
しかし、敗戦後は、GHQと日教組の主導する民主主義教育の下で、平等と個人の自由がうたわれ、エリートを育てる旧制高校は廃止されました。
学業成績優秀な人材が中央官庁を始めとするビッグシステムの中核を担う慣行は未だに続いているものの、エリートとしての誇りや自覚が次第に薄れて行く気がします。
かつて、エリートの犯罪と云えば、組織の為の罪で私腹を肥やさずと云ったものが多かったのですが、近年では組織に背いてまで私利私欲を満たす類の“エリート犯罪“が増えているようです。
明治維新から150年、旧制高校の創設から120年余り、敗戦後73年が経過しています。社会も人の価値観も大きく変わりました。
しかし、集団に先達が必要なことは変わりがありません。公益の為に死力を尽くしてくれるようなエリートをどう育てるか、社会全体で考える必要がありそうです。
先ずは、行き過ぎた個人尊重や悪平等を改めることから始めるべきではないでしょうか。