web master’s voice in Japanese (31) 2019/9/26
去る8月26日に、インドネシアのジョコ大統領が同国の首都をボルネオ(カリマンタン島)へ移転すると発表しました。インドネシアは赤道をはさんで1万3千以上の島があり、東西は、西のスマトラ島から東のニューギニア島のパプア州まで5100kmにまたがる一大海洋国家です。5%を超えるような経済成長が続き、人口も2億7千万人に達しようとしています。
首都ジャカルタに1千万、首都圏には3千万の人口が集中しているそうで、交通渋滞の解消のめどが立たず、湿地帯の上、過剰な地下水のくみ上げで地盤も沈下して、かねて、首都の移転の是非が問われてきました。
ただ、ジャカルタ周辺には適地がないそうで、今度発表された東カリマンタンとなると、確かに広い東西の真ん中に位置するものの、経済の中心地ジャカルタとは遠く離れ、交通のアクセスもないそうです。一大プロジェクトの実現にはまだまだ詰めるべき課題が多いようです。
商社の駐在から現地に留まり、幅広くビジネスを展開している或る日本人は「自分はのんびり屋で日本のスピードにはついていけないが、ここならやれると思った」と話していましたが、インドネシア人は総じておっとりとして人柄もよさそうです。
マレーシアを含めた広い海域には古来、幾多の王国が興亡し、緩やかな交流があったようです。16世紀にはいると西欧の列強が進出し始め、やがてマレーシアは英国、インドネシアはオランダとの線引きが行われ、インドネシアは大東亜戦争までオランダの圧政に苦しみました。
日本の敗戦後、残留日本軍の協力も得てオランダとの戦争に勝ち抜き、独立を達成します。その快挙を記念するジャカルタの独立広場に収められている独立宣言書には、“05年8月17日”を意味する日付と共に独立の英雄、スカルノとハッタの署名があるそうです。この05年は皇紀2605年を意味し、独立の英雄たちが、いかほどまで、日本の指導と協力に深謝していたかを如実に物語っています。
また、2011年には、かつて東京裁判の行われた、自衛隊市ヶ谷駐屯地にインドネシア独立戦争を指揮したスティルマン将軍の等身大の像が同国より送られ建立されました。日本ではすっかり忘れさせられてしまった、アジアを解放した日本の先人の偉業を、アジアの人々は今も忘れず、感謝してくれています。
捏造と悪意に満ちた反日教育を繰り返す中国や朝鮮半島のことばかり、マスコミは報じたがりますが、反日国家には距離を置いて、健全なアジアの国々の実情をもっと詳しく報じてもらいたいものです。