web master’s voice in Japanese (29) 2019/7/8
香港の反政府デモ
筆者は1978年から1982年まで香港に駐在していました。当時、筆者は合成樹脂関係の仕事に従事しており、軽工業の盛んな香港は、日本の樹脂業界の最大の輸出先でした。丁度,鄧小平による改革開放路線が始まろうとする時期であり、英国の香港租借期限の1997年が迫って来る中で、英中間で香港の返還を巡っての協議が始まっていました。
一方で、全土を揺るがした1967年の香港大暴動からは十年余りが経過していました。昨年引退を表明した香港最大の実業家の李嘉誠氏を始めとして、名だたる実業家、富豪は大暴動で暴落した不動産を、リスクを取って買いに出た人たちでした。
返還から二十一年、大暴動からは五十年が経過し、香港を取り巻く環境は大きく変化しました。金融センターとしての機能はますます重要になっています。一方で、英国からの返還に際して、中共政府が約束した五十年間の“一国二制度“という香港の自治を認める制度が揺らいでいます。表現の自由などへの圧迫が年々強まる中で、今般の“容疑者引き渡し条例”を巡って大規模なデモが続発、6月16日のデモ参加者は、主催者発表では、二百万人に達し、更に、中国への返還記念日の7月1日にはデモ隊の一部が議会へ突入、一時これを占拠する事態にまで発展しました。
1967年の大暴動は大東亜戦争後、アジア各国が独立を果たし、ベトナム戦争が苛烈を極めた時期でした。中国本土では紅衛兵が猛威を振るい始めた時期でもありました。暴動の発端は、当時の香港の主力産業であった、合成樹脂を原料とする人造花(ホンコンフラワー)の製造工場の労働争議でした。中共からの指示による、左派勢力中心の英帝国主義に対する闘争との色彩を帯びていました。
今回は逆に“一国二制度”の維持に対する不安、中共政府の圧力に対する不安が闘争につながっています。香港住民の自由を求める闘争に加えて、英米からの強力な支援もあるに違いありません。英国にとってはかつて支配し、育ててきたマネーロンダリングを含めたアジアの金融センターとしての香港を、中共の支配から取り戻す意義があります。
中国共産党の独裁支配の終焉を目指し、中国包囲網を形成しつつある米国にとっては、香港住民の蜂起は心強いばかりでなく、周辺各国、とりわけ台湾への影響が看過できません。かつての反共のとりでの韓国が、頼むに足らない現況では、中国の膨張、とりわけ太平洋進出を抑えるには、台湾が要石となります。“一つの中国”を主張する中国に台湾が飲みこまれれば、安全保障上の脅威の他にも、今覇権争いが展開されようとしている5G関連の技術が台湾から中国へ流失することも懸念されます。そうした観点から、台湾の死守を目指す米国にとっては香港との連携が欠かせません。
香港は東京都の半分程度の小さな地域ですが、英国がアジア進出の拠点として以来、百五十年余り、世界の注目を集めてきました。1997年の中国への返還時には香港のGDPは中国全体の凡そ25%を占めていましたが、昨年には5%程度まで急降下し、香港の存在感は薄れたかに見えました。しかし、激動する世界情勢の中で、再び、目の離せない存在となっています。